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自意識とはなんぞ; 自意識の具体化機能と錯覚

自意識ってなんだろう。

ってことで考えてみた。

結局、「自意識の機能って何?」っていう考えから、「自意識は具体化機能の錯覚である」という考えにたどり着いたのを書いてみた。

 

1.自意識はどこにある

自分が中学生ぐらいのときに、中二病かわからんけど感じていた疑問。

「自意識ってなんだろう?どこにあるんだろう?」

自分は自意識があると思っている。人間はきっとみんなが持っていると思っている。たぶん机とかコップとか空を浮いている雲は持っていない。でもこれからロボットやAIが進んだら、彼らは自意識を持つのだろうか。どうしたら自意識を持ったって言えるのだろう。

中学校か高校で学んだ「デカルト哲学的ゾンビ」の話がより興味を引き付けた。デカルトさんは「もしかしたら自分以外の人間は自意識を持っているように見えているだけで、本当は自意識のないゾンビなのではないか?」と考えたのである(だったと思う)。

絶対的に確かめる方法がない以上、もしかしたら今日うどん屋でレジをしてくれたおばちゃんは自意識を持っていないかもしれないし、今文章を打っているキーボードが自意識を持っているかもしれない。

そこで確かめる方法から考えてみた。それが「自意識の持つ機能を有しているか検定」である。もし自意識の機能がわかっていれば、自意識という機能が発動するかしないかで、自意識を持っているかわかるだろう。そこから自意識の居場所を絞れるはずだ。

 

2.意識の機能 (無意識と自意識)

脳の機能は無意識下のものと自意識下によるものに分けられると思う。

無意識下での機能ってのは反射的な行動(感情)や直感、自転車走行のように複雑な計算処理をなんとなく行える時の脳の機能だ。

自転車を漕ぐときに「今自分の重心はどこにあって、どちら側に傾いているからどれだけペダルを踏みつつ反力で体を傾け直して...」なんて誰も考えない。これは無意識下で多くの情報を包括的に処理しているからだ。直感も同じように、視覚や聴覚、過去の経験などから「なんとなくそんな気がする」というアウトプットを出していると思うので、それも無意識下での処理だ。そう考えると多くの行動は無意識下で行われている気がする。

では自意識下での機能は?

そこで思いついたのが「会話」だ。話すときはいつも自意識を持って考える。ただ、とてつもなく緊張したプレゼンでは口が勝手にしゃべったり、反射的な質疑応答をしたりするので、単に言語を扱うってことじゃない。会話を成立させるということだ。

 

3.自意識の機能は物事の具体化(だと思う)

 さて、では会話を成立させるのに必要な機能とは何か。それは、「相手の言葉を「分析」し、「答え」を言語化して伝えること」だと思う。そして、それに具体化が必要で、そこに自意識の機能があるのだと思う。

「バナナって石鹸と同じ色だよね」と話されたら変に思うと思う。「バナナ」と言われたらみんな果物のバナナのイメージを思い浮かべると思う。心が汚れている人は果物と違うかもしれないが、何かしらイメージするはずだ。石鹸についても同様。ここで「違和感を持つ」までが無意識下の処理だ。厳密には「バナナは黄色」という無意識処理と「石鹸は白」という無意識処理が競合して「違和感」という出力が出る。直感的に「なんか変な感じがする...」という抽象的な感覚が残る。この違和感はなんだろうと分析する際に、具体化は非常に有益だ。

この例えの場合、分析点を具体的に絞ると「バナナは黄色のものを指していないのでは?」「石鹸は白のものを指していないのでは?」「発言者の錯乱しているのでは?」などいろいろ考えられるが、具体化すれば、それらを一個一個上げて、順繰りに深く分析することができる。具体化せずに抽象的だと可能性を絞り切れなかったり、分析中に同じ考えをぐるぐる回ったりして、返答ができないだろう。具体化していれば「え?バナナって黄色いよね?」等、とりあえず会話を成立できる。

生き物はこの具体化を利用して、物事を分析し、学習に繋げ、生き延びてきたのではないだろうか。ただ「なんとなくやばい気がする」では、必要以上に逃げたり、本来逃げるべき時に逃げられなかったり、リスクマネジメントが最適化されないだろう。

結局、「会話=自意識」と「会話=具体化」から、自意識は具体化して物事を分析するための機能と考えた(本等号記号は厳密な意味では使われていません)。逆に考えれば、「具体化機能が自意識を持った」とも言える。

 

4.自意識とは具体化機能の錯覚

ここで残る疑問は、「なぜ具体化機能が自意識を持っているのだろう」だ。

抽象的な処理は、複合的な高速処理を行うためにあるまとめられた領域で処理すべきで、具体的な処理領域とは分けるべきだと思う。

では、なぜ分けた後、具体化処理用の領域が自意識をもったのだろう。

もしかしたら具体化処理そのものが自意識なのかもしれない。

頭の中を無にするというのは非常に難しい。それは自意識は具体的に何かを考えてこそ自意識だからなのかもしれない。

頭の中の感情、記憶、イメージといったものを毎秒、瞬間毎に、常に具体化し、更新しつづけたものを「自意識」として錯覚しているのかもしれない。

 

5.まとめ

今回、「自意識はどこか」から始まり、「会話」をきっかけに「自意識の機能」から、「自意識とは具体的に物事を考える機能そのものの錯覚」だと考えた。

そう考えると、きっと多くの人は自意識を持っていると思う。多くの人が会話を成立したり、具体的に考えたであろう対応をするからだ。

もしも抽象的処理と具体的処理を分けたAIができたら、それは具体的な処理領域で自意識を持っているかもしれない。そう考えると面白い。